「手のない時には端歩を突け」将棋格言から学ぶ人生の教訓【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

「手のない時には端歩を突け」将棋格言から学ぶ人生の教訓【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年08月09日

昔、テレビ将棋の解説で「端歩は心の余裕ですね」という言葉が今でも印象に残っています。将棋の一局の中で、一見意味のないような、盤面の端の歩を突くことにはどんな意図があるのでしょうか。その瞬間には意味を持っていなかったとしても、後々に効いてくるような手もあるのです。端歩のような目立たない存在にも、どういう意味を持たせるか、脚光を浴びせられるかどうか、それも対局者にかかっているのです。

あとあと効いてくるような展開を思い描いて

「手のない時には端歩を突け」という将棋格言があります。これは、序盤から中盤の難所にかけて自分の手が分からないときには、端の「歩兵」を一つ突いておくといい、という戦術アドバイスです。

たった1マスしか動けない非力な歩兵。その端っこにある歩を一つ突く。そんなものは戦術と言うほど意味があるものではないとおっしゃる方もいます。端歩そのものには悪手はないといった程度のことだと考える方もいます。

そんな取るに足らない手に思える端歩であっても、いい加減な手を指すよりずっと良いのです。端歩を突くことで、リスクなく相手に手番を渡すことができます。

端歩を突いて手を渡すことは、相手に「さあ、どうぞ。好きなように指して下さい」とゆだねてみるという意味でもあり、相手の出方をじっくり伺うことができるというメリットもあります。現時点では直接効果はないかもしれないけれども、端歩を一つ突いておくと、あとあとその手が効いてくることもあります。すぐに狙いのある手ではなく、十数手後になるかもしれませんが、ひとつ突いた端から攻めていく手がかりになったりすることがあるのです。

確かに端歩はその瞬間だけを見れば、100点の手ではないけれど0点ではない、と言う程度の手かもしれません。でも、あとになってこれが100点に近いような意味を持ったりするのです。相手の角の飛び出しを防いだり、銀の進出を防いだり、逆に攻めの手掛かりになったりする。そういう体験をプロ棋士はさんざんしてきているので、やはり今でも「わからなかったら端歩をつけばいい」と言われるわけです。

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(第58期王位戦 第1局より)

幅広い視野で、あらゆるものを見渡すように

端っこの小さな駒・・・。ちょうど学校で言うと、教室の隅に静かに一人で本を読んでいる子のような存在です。いつも静かで、いるのかいないのかわからないような目立たない子。そんな児童が学校休んでも、同級生にすぐには気づかれなかったりするものです。

そんなときに、教師が「今日は〇〇ちゃんがお休みなんだよね」とみんなに意識させて、「〇〇ちゃんはえらいよね。いつも集中して本を読んでいるよね」とその子を褒めると、教室の雰囲気がガラッと変わります。「あ、そういえば〇〇ちゃんってそうだな」とほかの子も気づいて、やんちゃ坊主まで急に本を読み出したりするのです。

単純なことの様に思われるかもしれませんが、教師が休んでいる子や目立たない子にも目配りを忘れていないということを、子供たちに気付かせるのは教育的にもとても意味があります。「先生はあの子のこともちゃんと見ている」と伝わると、子供たちは「そうか。先生はそうやってみんなのことをいつも見てくれているんだな」と思ってくれるのです。

教師はただ単に良い授業をするだけではダメなのです。教室の中で目立っていない子にも目配りを忘れてはいけません。これは私の自戒を込めて述べたものですが、将棋の場合も、自分の駒のすべてを等しく見てあげることが大切なのです。

マイナスの駒はない。プラスに働く工夫を出来るかどうか

将棋の駒は「王将/玉将」「飛車」「角行」「金将」「銀将」「桂馬」「香車」「歩兵」の8種類です。成って駒を裏返すと、飛車は「竜王」、角行は「竜馬」、銀将は「成銀」、桂馬は「成桂」、香車は「成香」、歩兵は「と金」になり、それらを含めると入れると駒の種類は14種類にもなります。 これだけ種類があったところで、一回の手番には一手しか指せません。一枚でも遊び駒があると、勝てないのが将棋ですから、駒みんなが攻守のバランスの中で連携して動いているかどうか、常に全体を見渡していることが必要なのです。

実は、盤面を見ていると、いない方がいい駒があることがあります。例えば、「壁銀」と呼ばれるものがその典型で、銀将が他の駒の働きを邪魔している状態のことです。銀は攻めが得意で心強い戦力になってくれますが、その銀が味方の王様の退路を壁としてふさいでしまっている状態になってしまっていることがあります。王様の近くにいて守っているようでも、王様の逃げ道をふさいでしまい、いざというときに逃げられずに簡単に詰まされてしまうのです。

もちろん、銀がいけないのではありません。それを使いこなせなかった自分が悪いのです。駒には一枚だって無駄なものはありません。壁銀があると気づけば、それを効果的に働くように動かす意識を持てるかどうか。上手く動かすことができれば、銀も新たな局面で働けるし、王様も逃げられる、一石二鳥の好手となります。邪魔だと思っていた壁銀をうまく使うことで、逆に勝ちに持ち込むこともできるわけです。すぐに無駄だとマイナスの発想をするのではなく、「じゃあ、これを動かしてあげよう」というプラスの発想をすることが大切なのです。

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個性を活かし、それを引き出すような目配りを

将棋ではこのように、たくさんある駒の中で邪魔になっている駒がいないか、遊んでいる駒がないか、それらへの目配りを忘れてはいけません。人間にも一人ひとりみんな違う個性があり、それぞれ得意なことが異なっているのです。

我々教師は、その個性をうまく引き出してあげる――まさしく将棋と同じことが教育にも求められているのだと思います。端歩のような小さな力でも、それを信じて見守ってあげることが本当に大事だと思うのです。端歩は心の余裕...現代の私たちの生活を振り返る言葉にも思えてきます。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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