名人戦の対局を見て、子供達が感じ取ったものとは?

名人戦の対局を見て、子供達が感じ取ったものとは?

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年08月23日

私が指導している将棋クラブの児童に名人戦の対局のビデオを見せたことがあります。将棋の対局ですから、目まぐるしく画面が切り替わることはありません。むしろ「静の世界」と言える映像。その映像から、子供たちはいったい何を感じ取ったのでしょうか。

動かない映像を見つめる子供たちの変化

名人位と言うのは棋界で最も歴史のある大きなタイトルということもあって、名人戦ともなると両対局者ともに長考が常です。そのため、映し出される映像にはなかなか動きがありません。まるで静止画のよう。重厚な榧盤の上に置かれた美しい盛上駒が微動だにせず、ひたすら静寂な時を刻みます。

「あれ?動いていないよ?」 「先生、画面が何かおかしいよ」 と子供たちは口々に疑問の声を上げ、不思議そうに映像を見ていました。巷には「速さ」と「動き」が求められる映像が氾濫し、それに慣れてしまった子どもたちにとっては、その「静の画面」はさぞかし奇妙なものに映ったことでしょう。

しばらくすると、画面に両対局者の苦悩する姿が大きく映し出されました。そこにあったのは、羽生三冠が前傾姿勢になって真剣な眼差しで必死に読みを入れている姿でした。その姿に私は圧倒され、しばらく言葉が出ませんでした。そして我に返ってまわりを見ると、子供たちにも変化が起こっていたのです。

「え?何をやっているの?」 「羽生三冠は何を考えているの?」 ・・・・・・。しばらく黙って見ていると、子供たちもだんだん集中してきて、眼の色が変わっていきました。人間が一つのことをずっと考えている姿、必死に盤面を見つめる姿に、子供たちははっきりと何かを感じ取ったようでした。

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考え抜く姿を目の当たりにして思うこと

現代っ子たちは、身のまわりに溢れかえる「動の世界」に慣れ親しみ、それが彼らにとっての「当たり前」になっています。しかしそんな彼らにも、映し出された「静の世界」の凄さは間違いなく伝わっていました。子供たちにしてみれば、最初は「一体何が起こっているのだろう」くらいにしか思わなかったに違いありません。

それが、ずっと同じ画面だけれど、どうやら現場をそのまま中継している映像らしいと感じ取り、ひたすら見続けるうちに、「すごい。真剣に考えているんだ!」と理解するに至ったのです。時間の経過の中で、子供たちにもだんだん本質が見えてくるようになって、じっくりと考えることの意味を受け止めてくれたのです。

考えてみれば、今では誰かが真剣に何かを考え続けている姿を見る機会はほとんどなくなってしまったように思います。そもそも、人の姿を見て学ぶということもしなくなり、その機会すら失われてきています。しかし、そんな時代に育っている子供たちだって、本物を見ればちゃんとその意味するところを理解する、その感性は持っているのです。教育には本物を見せることが何よりも大きなものをもたらします。

ビデオを見た子供たちは羽生三冠の考え抜く姿を見て、真剣に考えるという行為の意義を感じ取ったのだと思います。集中して自分自身の全てを投入して取り組むものらしい、と理解しているかもしれません。それを上手く言葉にすることはできないかもしれませんが、子供たちは心の深いところでしっかりと受け止めてくれました。そんな手応えを私は感じたのです。

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子供たちと「夢」を共有し合っていますか?

別の日、教室でそれぞれみんなに「ぼくの夢」というテーマで発表させた際、その中の一人が「ぼくの夢はプロ棋士になって羽生三冠に勝つことです!」と誇らしげにスピーチしました。友達が「すごいなー。がんばれ!」と拍手をすると、その子もまんざらでもないような照れ笑いを浮かべながら自分の席に帰っていきました。

彼は数ヶ月前から始めた将棋に夢中になっています。彼にとって羽生三冠は、きっと神様のような存在なのでしょう。図書館で借りてくる本は将棋本ばかりで、それも羽生三冠の写真が載っているものだけです。その棋書には初段以上の棋力の人が読む本も交じっていて、「本当にその本の内容を理解しているのかな?」とは思います。しかし、棋譜や対局の解説がむずかしい漢字と文章で書かれている定跡本を持ち歩いている姿は、何かかっこよさを感じます。

今、藤井聡太四段の活躍で学校現場でも将棋ブームを実感します。「ぼくも頑張ればできる!」

子供が「本気で追い求めたい」と願う夢を持てるというのは、とても素敵なことです。毎朝の通勤・通学電車でカバンから漫画本やスマートフォンを出す大人の横で、その子は詰将棋とにらめっこしながら通ってきます。「かっこいいなぁ。プロ棋士目指して頑張っているね!」と私が声をかけると、彼は目を輝かせてうなずいてみせます。

小学教育の生活科の時間に、七夕の短冊を書く時間があります。そのときはご家族にも短冊を書いてもらい、教室だけでなく家庭でも短冊を見せ合ってもらいます。短冊に書いてある夢を見せ合うことは、お互いの気持ちを分かち合うことです。友達同士や家族みんなでそういう時間を持つことは、とても有意義なことだと思います。

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子供たちの夢を導くのは大人の仕事

社会がめまぐるしく変動している今こそ、じっくりと考え、ときに夢を語り合う心のゆとりが必要だと感じています。現代の子供たちは今、どんな夢を胸に抱いているのでしょうか。子供が自分の力で真剣に考え、育んでいる夢。その夢が大きく羽ばたけるように、私たち大人には、それを上手に導いてあげる仕事が託されているように思うのです。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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